神社のおみくじが「大吉」だけじゃない理由

山下です、

神社のおみくじで大吉を引くと、

「運を使い果たした」。

一方、大凶なら

「あとは良くなるだけ」

というセリフ。

もう毎年聞きますよね。

それなら、おみくじを引く意味
ないな..って思います。

それと同時に、結局のところ
私たちの解釈って自由に変えられる
ものなんだなと実感するわけです。

物事に対する考え方って、
自分の好きなようにできる。

素晴らしいことです。

ですが、さらにその上。

私たちの解釈、物事のとらえ方すら
大きな力で包み込んでしまい、
コントロールしてしまうような、
もっと大きな力がある気がします。

ツイてる人は、ツイている

いくら自由に解釈を選べるといっても、
どうしても良い気持ちにはなれない時、
どう考えてもラッキーじゃないよな
って時、ありますよね。

例えば、正月の初詣で大吉を引き当て、
ビジネスでも大成功、若くて美しい妻、
幸せな家族に恵まれ、豪邸に引っ越し、
ブランド品を着こなし、いい香りの人気者。

いますよね。

いるんですよ、実際に。

そんな人に向かって、

「運を使い果たしたね」

なんて言う人がいたら、
ただのヒガミじゃないの?
って思いますよね。

その人からは、

「運、使い果たしちゃった〜!」

「アハハ」

って軽く受け流される状況が
目に浮かびます。

人間 VS. 宇宙

確かに私たちの考え方、解釈って
自由に変えられますよ。

素晴らしいことです。

でも、それ以上の「何か」がある
と考えないと説明できないことだって
たくさんあるわけです。

なので、もっと大きなスケールだと、
解釈を変えようが、変えまいが、

「結局同じ」

だなって、私は考えます。

良いことも、悪いことも、
起こるんです。

幸運な時も、不運な時も、
あるんです。

たとえどちらであっても、
ありのままを受け入れる。

かなり難しい場合もありますが、
私自身、日々心がけている姿勢です。

大好きな人に出会えたり、
ビジネスが計画通りに成功したり、
自由な人生を満喫できた時は、
飛び跳ねて、天高くガッツポーズをして
大声で笑い、喜べばいい。

生理的に合わない人から非難されたり、
ミスを連発して惨めな気分になったり、
奴隷労働から逃げ出したい時は、
地面に向かって深くため息を出し、
汗と涙と鼻水で顔をグチャグチャにして
いきどおり、後悔し、悲しめばいい。

どちらか一方じゃダメ。

見たくない部分だってフタをせず、
素直に向き合い、直視し、両方とも
ありのままを受け入れる必要があります。

現実ですからね。

これだけできていれば、
あとは必要ありません。

ですから、神社で大凶だった場合
どうすればいいのか?

もうお分かりですよね。

その時感じた思い、素直な感情を
そのまま表現するんです。

私だったら、

「うわー、最悪」

「おみくじなんて引くんじゃなかった」

「今年一年、もう終わったかも」

「ついてないな」

「なんかムカついてきた」

「損した!」

って言うでしょうね、口を尖らせて。

それからおみくじをビリビリに引き裂いて
踏んづけて、燃やしてしまうでしょう。

それで一晩寝て、翌朝には心機一転。

もう綺麗さっぱり忘れているでしょうね。

無料でもクジは引かない

もちろん、大人気なく、こんなこと
言いたくないですよ。

でも、くじを引くっていうことは
そういうリスクも込み込みの話。

どういう結果であれ、受け入れなければ
それが癖になり、いろんなものを抱え込み
溜め込んでしまうようになりますよ。

そうして最後は一気に爆発するか、
潰れてしまいますからね。

おみくじ以外であっても同じで、
嫌なこと、辛いことに直面したら、
絶対に無視せず、詳細に観察し、
受け入れる必要があります。

この最初のステップをスキップして

「あとは良くなるだけ」

というのはかなり危険だということ、
伝わったでしょうか。

結構面倒ですよね、おみくじって。

ですから、私は引きません。

タダでも引きません。

日記

Posted by 百年一瞬ブログ