子猫を見殺し

山下です、

近所で猫が鳴いています。

「ニャーー、ニャーーー」

最近すごく寒くなってきたので
おそらく野良猫が助けを求めて
鳴いているんでしょう。

子猫ですよ、多分。

数ヶ月前から母猫と一緒に
黒と白の子猫たちが
走り回っていましたから。

「寒いよーー、腹減ったよーー」

と言っているんだと思います。

あなたならどうしますか?

餌くらいあげて、助けます?

残酷に聞こえるかもしれませんが、
私は完全に無視しています。

ヒドい人間ですよね。

でも、正直面倒なんてみれませんし、
生きていけないものは死ぬのが
自然界の掟なんだと思います。

可愛そうだとは思いますが、
私たちは多くの命を殺しながら
生きているのが現実です。

昨日食べた肉だって、魚、牛、豚、
鶏などを殺しているわけですからね。

しかも大量すぎるくらい大量に。

ですから、

「子猫、かわいそうだよ」

という前に、一つでも救えるはずの命を
救ってから言うべきだと思うわけです。

もっと言えば、日本人だけでも
毎年100万人以上死んでいます。

毎日3000人。

そのたった一人でも救ってから、余力があれば
子猫も救っていいかもしれません。

私の場合、同じ人間の命ですら
救っていません。

人間以外でも、一度も救っていません。

ライオンに殺されそうなシマウマも、
白くまに食べられそうなオットセイも、
群れからはぐれて息絶え絶えのサルも、
駅前のハトに食べられそうなアリも、
おばちゃんに叩き殺されそうなゴキブリも..

何一つ救っていない人間なんです。

それで子猫だけ思いついたように救うって
ただの偽善者でしょ。

まあ、単純に命を救えるような能力が
私にはないっていうだけの話なんですけど、
とにかく無視しています。

でも、罪悪感はありませんよ、少ししか。

大きい視野、永い時間で考えれば
ほとんどの生物は絶対に死ぬわけです。

人間だったら120年もすれば死にますよ、
絶対に。

ですから命を救うことも重要ですが、
それよりも「どう死ぬか」の方が
よほど重要なんだろうと思います。

..

「私がこの子を保護しました」

というセリフをよく聞きます。

泥まみれで、今にも死にそうな子猫を
お風呂に入れてあげ、食事を与え、
徐々に回復、成長しましたという話。

その度にピクンとしてしまうんです。

本当に申し訳ないのですが、

「神にでもなったつもりか?」

と反射的に思ってしまうんです。

実際、人間ってそれほど優れた
生き物じゃないですよ。

私も含めて、ほぼ猿ですから。

ちょっと手先や口先が器用な猿。

そんなお猿さんが、「保護」って
一体どういうことでしょうか。

あまりにも自分の能力を評価しすぎ
ているんじゃないでしょうかね。

「ヒマなだけでしょ」

っていう私はヒドい人間でしょうか。

実は保護されたのは子猫じゃなくて、
その人の心だったんじゃないのって
本当に思いますよ。

「私は生きている実感もなく、暇で
誰からも認められない人間なんです」

「そんな時、子猫という都合の良い
暇つぶしが現れました」

だから、

「私がこの子に保護されました」

この方が余程シックリきます。

言い過ぎましたかね。

言い過ぎですよね。

でも、私の本心ですし、こう言われて
もし激怒するようであれば、それは
図星だってことですよね。

私たち人間って、どうも自分たを
過大評価する傾向がありますよ。

「地球を救う」

なんていうセルフも典型例です。

宇宙の一部であり、地球で育てられた
お猿さんが“救う”なんて無理ですからね。

それを小学生が元気に暗唱しているのを
見ると、ゆっくりと深呼吸したくなります。

「生態系のトップに君臨する人類」

というのも良いかもしれませんが、
たまにはそうじゃなくて、

「最も下等下劣な生物、それが人間」

という視点も大切でしょう。

日記

Posted by 百年一瞬ブログ