神の雪だるま

山下です、

昨日、雪だるまを見ました。

家の玄関先や駐車場に、小さいのから
大きいのまで数個見ました。

おそらく子供が作ったんでしょう。

それを見て、なんだか切なくなりました。

綺麗な心

雪だるまには、制作者の心が現れている
ような気がしたんです。

綺麗で、純粋な心の持ち主じゃないと
雪だるまなんて作りませんからね。

私みたいに、手が冷たくなるとか、
寒いとか、どうせすぐ溶けるし、
なんて考えの持ち主からは、絶対に
出現しないわけです、雪だるまは。

過去のことも、未来のことも考えず、
とにかく無心で作る。

雪の白さ、綺麗さに感動し、興奮し、
その気持ちを素直に行動で表現する。

そんな純粋な心が、雪だるまを
出現させます。

目を付けて、口を付けて、帽子をかぶせて。

ニッコリ笑顔の雪だるまを見て、

「綺麗だな」

って感動しましたよ、作った人の心が。

それに比べて、私なんてどれだけ
ドス黒く汚れてしまったんでしょう。

寒さが身にしみます。

退化する人間

人は綺麗な心をもって生まれます。

両親から言われたことを100%受け入れ、
お化けだって、サンタだって信じます。

『嘘』という概念がありません。

それから騙され、裏切られ、悲しみ、
だんだん人を信用しなくなります。

社会人になり、仕事をはじめると

「1円でも高く売りたい」

「1円でも安く買いたい」

そんな欲にドップリ浸かり、
騙し、欺き、罵るようになります。

そしていつしか「汚い大人」になり、
他人を攻撃し、蹴落としても
全く動じない人間になるわけです。

(私のことですけど..)

そんな人間、雪だるまなんて
作りませんよ、絶対に。

雪を見たって、

「どんなビジネスになるかな」

としか考えないですからね。

「雪だるま好きに売れる商品」

とか、

「どんな広告に反応するかな」

とか、反射的に考えてしまいます。

もう本当に私、汚い人間ですよ。

人は何かを知れば知るほど、
経験すればするほど、実は退化
しているのかもしれません。

いや、「私は」と言うべきでしょうね。

私の場合、おそらく赤ちゃんの頃が
人間として最も優れていたでしょう。

だんだん大きくなり、学べば学ぶほど
何も知らないことを知ってしまいます。

歳を取れば取るほど、常識や世間体を
気にして、真実が見えなくなります。

そう考えると、ただ年上だからという
理由だけで踏ん反り返ることなんて
絶対できません。

年功序列も、実は真逆なんでしょうね。

若い方が、未経験者の方が、新米の方が
上ですよ。

七つまでは神のうち

古くから子供は「神の子」と呼ばれています。

七五三が終わるまでは、まだ人間になっていない
「神聖な存在」として扱われていました。

もしかすると、私たちは人間になったせいで、
捨て去った部分もあるのかもしれません。

見えているから、見えないモノ。

聴こえているから、聴こえないモノが
あるのかもしれませんね。

神の子が作った雪だるまだからこそ、
私は何かしら神秘的なパワーを感じた
のでしょう。

圧倒的な正しさ、美しさ、儚さ。

今の自分にはないモノを感じました。

これからの人生、実は子供達から
多くを学ぶ必要があるのかもしれません。

日記

Posted by 百年一瞬ブログ