パラリンピックを廃止しよう

山下です、

オリンピックは争いごとを
助長します。

スポーツってそもそも競争ですから、
平和でも爽やかでもありません。

相手を騙し、欺き、蹴落とす人が正義
というルールですからね。

似たようなことを以前も話しましたので、
合わせて確認してみてください。

(参照記事:オリンピックで戦争勃発?

それで、パラリンピック。

2004年からオリンピックの後に
開催されはじめました。

障害者の大会だそうです。

この大会を見るといつも、

『偽善』

だなって思います。

手足が不自由だったり、脳性麻痺だったり、
視覚や知的に障害を抱える選手たちが
出場しますよね。

いや、頑張っている姿を見れば、
感動することもありますよ。

でも、それは障害者かどうかなんて
関係ありません。

そもそも、そもそもです。

『障害』って何なんでしょうね。

私には、いわゆる健常者が
障害者を決めているようにしか
思えないんです。

障害の決め方

例えば、ほとんど全ての人間が
右脚の膝下が“ない”場合。

その場合、全員障害者なのでしょうか。

いや、健常者でしょうね。

むしろ、膝下が“ある”人の方が
障害者扱いされるでしょう。

「あの人、膝下があるよ」

「かわいそうに」

なんて言われても、全く不思議
じゃないわけです。

「膝下があった方が上手く歩けるよ」

「こっちの方がいいよ」

なんて言っても、

「はいはい」

「うん、そうだね」

と、哀れみの表情で言われるでしょう。

つまり、障害って

「その人にとっては普通のこと」

であっても、そうじゃない人たちが
勝手に決めつけることなんです。

人それぞれ基準は違うわけですから、
その基準を尊重したいという思い。

分かりますよ。

でも、それで障害者扱いしたり、
パラリンピックなんて開催しちゃ
ダメだと思うんですよね。

勝手に、弱者、障害者のレッテルを貼り、

「ハンディを乗り越える姿に感動」

「声援と、涙が止まらない」

なんていう姿勢こそ、その人を否定し、
差別する行為。

ただの偽善です。

そして、

「障害を持っている人に優しい私」

「素敵でしょ」

という態度、本当に嫌いです。

もう一度言いますが、本人にとっては
それが普通ですし、その状態で
堂々と生きているわけですからね。

ですから、パラリンピックで分けずに、
オリンピックで一緒に出場するべきです。

順位なんて何番でもいいじゃないですか。

勝とうが負けようが、出場することに
意味がある、平和の祭典なんですから。

障害者の立場を考えよう

もし、あなたが東大生から

「え?こんな問題も分からないの?」

「そうか、障害か」

「必死に答えようとする姿に感動したよ」

「勇気をもらった、ありがとう!」

って言われたらどう思いますか。

100mを9秒台で走れる人たちから

「10秒切るなんて常識だよ」

「え、13秒?どうしたの?」

「障害?そうか、ガンバレ!」

って言われたらどう思いますか。

身長190cmのイケメンから

「背、低いね」

「顔の造形も美しくないね」

「あ、障害者だったの?ゴメンゴメン」

って言われたらどう思いますかね。

腹が立ちますよね?

だって、本人にとっては普通ですから、
それを応援されたり、比較されても
嬉しくとも何ともないわけです。

私は私。

それで生きているんです。

能力、環境、運。

上を見れば上があり、
下を見れば下がある。

ただそれだけのことですし、
自分は自分。

私もあなたも、それぞれの能力で、
環境で、精一杯生きている。

その前提を多くの人が理解すれば、
パラリンピックも、障害者という言葉も
サッと消えるんでしょう。