信じるか信じないかは、あなた次第です!

山下です、

かなり不思議な話をします。

ずっと聞いていると頭が混乱して
めまいを引き起こすかもしれません。

なので、今の体調が万全でなかったり
移動中であれば、聞かない方がいいです。

嘔吐の恐れもありますから。

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はい、それではあなたの了解を得た
ということで話を始めますね。

不思議な話です。

まず、今あなたはこの画面を通して
私の話を聞いていますよね。

つまり、少なくとも

「目の前に画面がある」

という状態なわけです。

そうですよね。

それで、このまま画面を見続けながら
イメージして欲しいことがあります。

『時間』についてです。

ビデオの高速再生

もし、今の1秒が、1年だったとして
今あなたの視点から一体どんな世界が
見えるでしょうか。

はい、もう1秒経過しました。

つまり、もう2019年です。

はい、もう2020年。

次、2021年…

まるで動画を早送りしたみたいに
人も車もビュンビュン移動します。

太陽は一秒で365回転ですから、
もう昼なのか夜なのかも判別不能。

1秒で1年。

想像できたでしょうか。

では、次に1秒が10年の世界を
イメージしてみてください。

オギャ〜と産まれた赤ちゃんでも、
グングン大きくなります。

1秒で10歳、小学4年生。

2秒で20歳、成人式…

10秒で100歳、他界。

誕生から死までの過程が、
走馬灯のように見えますよね。

さらに、1秒100年の世界。

1秒ごとに世代交代しますから、
同じ人でも実は子供、孫、ひ孫
という光景が見えるはずです。

さらに、1秒1000年。

1秒1万年、10万年、100万年…

想像してみてください。

どんなに大きな生物でも、もはや
見ることすらできません。

言われないと、存在していることすら
気づけないレベルです。

1秒1000万年、1億年、10億年…

大地がまるで生き物のように動き出し、
山がせり上がり、海面が激しく上下し、
大陸が移動する様子が見えるでしょう。

1秒100億年。

今の科学であれば、1.4秒くらい前に
宇宙が誕生したことになります。

1秒1000億年。

宇宙誕生のずっとずっと前の世界。

時間も空間も、光も物質も
存在する前の世界です。

はい、若干しつこい感はありましたが、
今の感覚を覚えておいてくださいね。

つまり、私たちが今「1秒」と決めて、
「1秒」だと信じているこの「1秒」。

ながくすればするほど、目の前にあるハズの
物体が見えなくなります。

最後は存在すら気付けないレベルにまで
なってしまうわけです。

ですから、今あなたが見ているこの画面も、
時間の流れを早くすれば、アッという間に
粉々に砕け、どこかへ行ってしまいます。

ウソじゃない?ホント?

パッと消滅した後、他人から

「画面なんて最初から無かったでしょ?」

と言われたら、どう感じますかね。

「いや、確かに存在していたんだよ」

って言い返したくなりますよね。

でも、証拠がありません。

昔、画面だったハズの部品、分子、原子を
集めたとしても、証拠にはなりません。

原子って画面以外にもなりますからね。

石ころにだって、空気にだって、あなたの体
にだってなるわけですから、画面の存在証拠
にはならないわけです。

そうですよね。

ですから、画面に限らず周りのもの全て

「実は存在していないんじゃないの?」

と言われても反論できません。

唯一存在しているもの、証明できるのは
観察者である“あなた自身”だけ
ということになります。

そして、存在しているあなた自身が

「画面は存在していたんだ!」

と強く信じている限り、この画面が存在
していた可能性はゼロにはなりません。

証明できなくても、他人に疑われても、
ちょっとくらいは可能性が残るわけです。

逆に、あなたが信じなくなった瞬間に、
この画面は存在しなかったことが
確定します。

はい。

何となく伝わりましたかね?私の言いたい事。

さっきは時間をながくしましたが、
空間を大きくしても、小さくしても
実は同じ事が言えます。

今の1km が100km、100万 km だったら。

この画面は小さすぎて見えなくなります。

今の1km が1mm、1nm だったら、
この画面は大きすぎて見えなくなります。

つまり、私たちが毎日見ている世界って、
たまたま条件が合っているから見えている
だけのことなんですよね。

もっと正確に言えば、

「見えていると信じているから見えている」

という事でしょう。

見れたら信じます

「見たら信じる」

私も含めて、多くの人たちがいうセリフです。

特に神様とか幽霊とか地球外生命体の存在とか、
そういう話題でよく聞きますよね。

ですが、最近どうも違う気がするですよね。

「私は見えていると信じている」

「見えたものは信じられると信じている」

「だから、見たら信じるよ」

ということですからね。

であれば、見えるとか見えないとか関係なく

『信じているかどうか』

ここから“全て”が始まっているのでは
ないでしょうか。

一度も1万円札を見たことがない人に
1万円札を見せても、ただの紙です。

その原価15円の印刷物が

「1万円の価値があると信じている」

場合のみ、その紙切れは1万円札に見えます。

飛行機を見たこともなく、存在すら否定する人が
実際に飛行機で空を飛んだとしても、おそらく
その人は飛んだことを信じないでしょう。

「薬物による幻想だ」

「巧妙なトリックだ」

「飛んだふうに思い込まされた」

と、いくらでも信じないための理由を
信じるでしょう。

いや、本当にどちらが正しいかなんて
誰にも分かりませんよ、多分。

ただ、『信じている』というだけの話です。

あなたも今、この画面が存在している
と信じているでしょう。

まさに今、目の前で目視している
と信じているでしょう。

でも、本当にそうなのかなんて
誰にも分からないんです。

私たちは、想像以上に限定されたモノしか
実際は見えていません。

そして想像以上に偏った信念を持ち、
それに気づいていません。

私だって偉そうなことは言えませんが、
まずはこの事実を認識するところから
次の世界が見え始める、と信じています。

日記

Posted by 百年一瞬ブログ