私、最低の人間です

山下です、

最近私、人とすれ違うだけで
イライラしてしまいます。

視界に人が入っただけで
イラっとします。

自分のペースで歩いていて、
後ろから間合いを詰められると
戦闘態勢に入ります。

車2台がギリギリ通れない幅の道を
歩いていて、車が接近してきただけで
ドライバーを睨んでしまいます。

最低ですよね。

なぜ、こんなに人を毛嫌いしているのか..
原因を考えてみました。

おそらくですが、その時その時、
特にコレといった大きな問題は
ないんでしょう。

時間をかけて小さな小さなストレスが
蓄積した結果だと思います。

ヤるか、ヤられるか

それで私なりの結論が出ました。

私は知らない人を『敵』として
見ていることに気づいたんです。

私も知らない、相手も私のことを知らない、
お互い他人同士。

実際は多くの場合、そんなに悪い人
じゃないんでしょう。

でも、中には「極悪人」が必ずいますから、
やっぱり知らない以上は警戒するべきですし、
『敵』と思った方が私にとって有利ですよね。

だから、イライラするんです。

警戒しすぎだと分かっていても、
私の本能が身構えるんです。

「危ないぞ!警戒しろ!」

って反射的に思ってしまうんです。

でもこれ、生物として、人間として
当たり前、当然の反応なんですよね。

無防備だったら、ヤラれますからね。

知らない相手とは距離を取り、警戒し、
安全を確認する。

そうやって私のご先祖様たちは
生き延びてきました。

なぜ、ヒトは集まるのか?

そもそも、ヒトはなぜ集団で生活するのか?

という根本的な理由を先に
知っておく必要があるでしょう。

答えはとても簡単で、

「集団の方が有利だから」

です。

食料を確保し、家を建て、快適に過ごし、
敵から身を守り、子供を産み、育てる。

一人で頑張るより、仲間で協力する方が
圧倒的に有利です。

ですから、実際にご先祖様たちは
100名ほどのグループで田畑を耕し、
村をつくって暮らしてきました。

100人くらいだと全員と挨拶し、
顔を覚えられるんです。

もし、見たこともない人間がいたら、
敵としてスグにとっ捕まえて
拘束し、尋問しました。

つまり、昔は集団で生活する意味、
味方同士で近くに暮らすメリットを
十分に理解していたわけです。

『敵』か『味方』。

明確に区別していたわけです。

ところが今。

周りには人が何万人も住んでいますが、
顔と名前すら一致しない人たちばかり、
つまり他人だらけなんです。

そうじゃない場所もたくさんあるでしょうが、
少なくとも私が住んでいる所はそうです。

すれ違っても、挨拶一つしません。

完全にムシ。

もちろん、私がそうしているから
相手もそうなんでしょうから、原因は
私にだってありますよ。

でも、現実問題として、毎日数万人と
挨拶し、コミュニケーションをとること
なんて相当面倒くさいわけです。

頑張っても100人くらいが限度でしょう。

それ以上はムシするしかありません。

ですから、挨拶しない、話さない、
『敵』認定する、欠点を攻撃する..

という流れになるんでしょう。

そりゃイライラもするわけです。

後ろから煽ったり、睨んだり、
タバコの煙をプファーっと吹きかけたり
もするわけです。

『敵』なんですから。

〇〇で大成功

それで、本来の目的を忘れちゃダメだな
って私は思うわけです。

そもそも、私たちは『味方』同士で助け合い
連携プレーするために近くに住んでいます。

『味方』同士の集団生活が得意で大好きな、
そんな生き物なんですよね。

ですから、もっともっと「挨拶」して
お互いのことを知って、認めるべき
なんでしょう。

人間、一人じゃ何にもできませんから。

私は今、人口50万人以上の場所に
とてつもない可能性が眠っていると
考えています。

ほとんど他人同士、『敵』として
争っていますからね。

それが『味方』になったら、これはもう
スゴイ事になると思うんです。

高齢化、貧富の格差、自殺、病…

あらゆる問題が一気に解決しますし、
経済も人口もモラルも幸福度も
急成長するでしょうね。

そのキッカケ、『敵』から『味方』へ
反転するポイントこそが「挨拶」なんです。

重箱の隅をつついて問題の粗探しをし、
ルールで縛り合うその前に、
有名人の不倫を批判するその前に、
戦争の危機を心配するその前に、
まずは挨拶でしょう。

..っと、まあ偉そうに言いましたが、
できていないのは私です。

これから、私自身に対する戒めとして
正しく生きる指針として言いました。

イライラする前に、争う前に、まず挨拶。

という事です。

ちなみに、昔の武士たちも、
相手を切る前に名乗ってましたね。

日記

Posted by 百年一瞬ブログ