やる気スイッチをONに固定し、バシバシ行動する最良の方法
山下です、
私はダメ人間です。
やらなければならないことを
すぐに実行することが苦手です。
例えば、
「来週は金沢に行く」
と決まっていても、出発直前まで
準備しません。できません。
ほとんどノープラン状態なので
かなり焦ります。
困るのは分かっていても、
どうしても動けないんです。
切羽詰まって、どうしようもなくなってから
ようやく動くタイプの人間です。
情けないです。
その時は、
「よし、次からはしっかりしよう」
と思うのですが、一回寝たら忘れます。
そして、何度も同じことを繰り返します。
正直、そんな自分が嫌いです。
バシバシ先取りして事前に準備できる人が
うらやましいです。
この、
「なかなか動かない問題」
について朝から考えていたところ、
新しい発見があったので
ここで話して起きますね。
実は、私の中にある『過去のトラウマ』が
私の行動を制限していたのです。
..
今こそ別れ目、いざサラバ
あなたは「卒業式」を覚えていますか?
私は強く覚えています。
つらく、悲しい思い出です。
何年間も決められた時間に登校し、
勉強したり、ご飯を食べたり
ケンカをしたり、好きな人ができたり
思い出がギッシリ詰まった学生時代。
それが一気に終わる式です。
翌日から授業もありません。
友人たちとも会いません。
部活もありません。
解散です。
入学式からずっと心の中にあった
何か大切だと信じていたものが
「はい、全部ウソでした」
と否定されるようで、頭が混乱します。
悲しいというか、虚無感に襲われます。
始まりがあれば、終わりがある。
出会いがあれば、別れがある。
喜びがあれば、悲しみもある。
この世は無常です。
分かっているつもりでも、
「だったら、もうイイや」
って思います。
「こんなにツライなら
最初っからやらなきゃイイのに」
って思うわけです。
小学校で、中学校で、高校で、大学で、
定期的に何度も経験してきましたが、
その度に寂しくて涙が止まりません。
毎日せっせと積み上げてきた作品を
一気に壊すような感覚です。
年月が経った今でも、私の心の中に
トラウマとして存在しています。
なにか新しいことをが始まると、反射的に
「どうせ、また終わる」
と思ってしまうんですよね。
どんなに一生懸命取り組んだとしても
いつか終わりが来る。
そして全部ゼロにリセットされる。
だったら、
「やらないほうがマシだよな」
って無意識レベルで感じているんです。
どうしてもやる必要がある場合は
重要度をできるだけ下げます。
だから直前まで後回し。
結果としてアワアワ慌てるわけです。
自分で言っててなんですが、
私って結構イヤなやつですね。
こういうのを屁理屈って言いますからね。
これじゃなんなので、もう一度、
「卒業式であれほど深く傷つく理由」
について、深く考えてみました。
そしたら重要なポイントが一つ、
完全に抜け落ちていたことに
気付いたんです。
私は量産型ロボット人間
今ごろ気づくなんて、アホですね。
ありのままを言いますが、当時の私は
将来の『夢』がありませんでした。
このために生きていると言えるような『夢』。
ゼロでした。
じゃあ何をして生きていたかと言うと、
学校に通学して生きていました。
両親に促され、みんなも行くから行く。
テスト勉強を頑張ったら褒めてもらえるから、
先生も、クラスの友達も、認めてくれるから、
だから勉強をしていました。
欠席したり、遅刻すると怒られるから
毎日律儀に生活していました。
いわゆる反抗期もほとんどなかったです。
決められた制服で、決められてた時間に
決められたことをして生きていました。
入学式だと言われれば入学し、
卒業だと言われれば卒業しました。
つまり、
「何のために生きているか分からない」
状態。
本来であれば、
1)『夢』があるから、どうしも叶えたい
2)叶える方法はたくさんある
3)全部検討した結果、学校に行くことにした
という順番が自然です。
あくまでも学校は一つの手段でしかありません。
夢のために学校に行っているわけですから
1日でも早く卒業できれば、そりゃ嬉しいわけです。
だって、次やりたいことがありますから。
しかし、私の場合は、
「通学することが全て」
だったんですよね。
これじゃあ、最終的に「意味ないよね」
ってなりますよ。
本当に自分がやりたいことは何なのか、
自分の人生をどのように生きたいのか、
これほど重要な問題を全く考えていなかったんです。
考えていなかったと言うよりは、
答えがなかいから先送りしていた
と言うほうが正確かもしれません。
もちろん、簡単に見つかる人もいるだろうし、
見つからない人だっているでしょう。
でも、考え続けることが重要です。
..
私が卒業式に感じた強烈な違和感。
おそらく、将来の『夢』という本質的な課題から
逃げていた自分に対する「絶望」だったのでしょう。
意味がないと分かっていても、
何らかの意味をもたせて納得し、
でもやっぱり意味がないと思い出した。
だから、猛烈に悲しかったのでしょう。
「なかなか動かない問題」も、
実は本当に自分がやりたいことではない
のかもしれません。
自分の中にある心の声に従っていない
のかもしれません。
いや、完全にそうですね。
「人生において達成したい夢は何なのか」
かなり真剣に考える必要アリです。
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